牛久シャトーにやってきた

一人歩き探検旅

今日は、JR常磐線で「牛久シャトー」にやってきました。

野木町煉瓦窯を訪ねてみて、煉瓦の造形美にもう少し触れてみたくなりました(^_-)-☆

さて、牛久シャトーですが、国の重要文化財としての正式名称は「シャトーカミヤ旧醸造場施設」です。また、所有会社は「オエノンホールディングス株式会社」です。鍛高譚博多の華で有名な合同酒精のことですね。

ここは2018年に突然、所有会社が園内の飲食物販事業から撤退し、ちょっとした物議を醸したところなのです。その後、牛久市がオエノンと賃貸借契約を結び、現在は第三セクターの運営で再開中。

牛久大仏と同様、牛久市民の心のよりどころと言ってもいいランドマークなのですが…。

とはいえ、、、

何といってもここは、国指定の重要文化財であり、近代化産業遺産(通産省)であり、日本遺産でもあるのです。三つの冠を受けている歴史遺産はあまり多くはありません。

文化庁が主管する国の国宝・重文や、通産省の近代化産業遺産は、詳細をすでにマイブログでレポートした通り、保全保護を目的とするものですが、、、。

日本遺産としての牛久シャトーはどうでしょう。認定された理由に、

「国産ブドウを原料とし、日本国内で醸造される日本ワイン。その140年にわたる歴史において重要な地位を占めるのが山梨県甲州市と茨城県牛久市である」

とあります。甲州と牛久を代表とする日本ワインに対して認定されたもの、と読めますね。

日本遺産(Japan Heritage)について

聞きなれない「日本遺産」については、概念が少しゆる~いもののようです。少しお勉強してみましょう。

平成27年(2015)に文化庁により創設されました。

「地域に点在する有形・無形の文化財をパッケージ化し、日本遺産に認定する仕組みを創設する」とあるように、パッケージ(モノや情報をまとめたもの)というのが、ミソのようですね。

ブログ掲載現在、全国で104件認定されています。ハードルが高いですね。

日本遺産のサイトから引用してみます。

世界遺産登録や文化財指定は、いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い、保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は、既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく、地域に点在する遺産を「面」として活用し、発信することで、地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります。

日本遺産ポータルサイト|文化庁が認定する日本の文化・伝統 (bunka.go.jp)

既存の日本の文化財制度と比べて、ちょっと解りずらいのですが、整理すると以下のような感じでしょうか。

  • 国宝、重要文化財→ 文化財保護法に基づき国が指定するもの
  • 登録有形文化財→  文化財登録制度に基づき所有者が申請し登録原簿に登録し認定されるもの
  • 日本遺産→     自治体が申請し認定登録される(有識者会議)もの

観光立国を目指すニッポンにとって、世界遺産(ユネスコ)の数を増やすことは大命題なのですが、それには地域の方々の理解と盛り上がりが欠かせませんね。

当初は、世界遺産を目指す地域や文化財を対象に、世界遺産に対応するための新制度だったようですが、その後「世界を惹ひきつける地域資源で稼ぐ地域社会の実現」と言うふうに変遷してきたようです。

例えば、管理人は7年前、四国のお遍路を満願成就したのですが、有力なお寺さんで世界遺産登録の運動が行われていました。一方で、地元の方の中には、大勢の観光客が押し寄せて困るから、とおっしゃる方も多く見かけました。

そんな四国お遍路ですが、日本遺産の最初の認定(2015年)を受けています。

牛久シャトーについて

国の重要文化財での正式名称は「シャトーカミヤ旧醸造場施設」です。

牛久シャトーは、実業家である神谷傳兵衛が、1903(明治36)年に茨城県牛久市に開設した日本初の本格的ワイン醸造場。フランスに現存した醸造場をモデルに、ボルドー地方の技術を用いて、葡萄の栽培からワインの醸造・瓶詰めを一貫して行なっていました。

現在は、約6万平方メートルある敷地内に、当時の建物を活かした記念館を展開し、神谷傳兵衛の足跡と当時のワイン造りの資料や、オエノングループの歴史を紹介しており、多くの方が訪れます。

2007(平成19)年11月には経済産業省より「近代化産業遺産」に認定、2008(平成20)年6月には国の重要文化財に指定、そして2020(令和2)年6月に「日本遺産(Japan Heritage)」に認定されるなど、その歴史的価値の高さが広く認められています。

牛久シャトーについて | 歴史を知る | 牛久シャトー公式サイト (oenon.jp)

牛久シャトーの略歴

  • 明治36年(1903) 実業家の神谷傳兵衛が当地に開設(日本初の本格的ワイン醸造場)
  • 明治45年(1912) 浅草に神谷バーを開業
  • 大正11年(1922) 神谷傳兵衛死去
  • 昭和20年(1945) 戦時中に既に荒廃していた葡萄園を、農地改革により小作地に開放(のち宅地化される)
  • 昭和23年(1948) 牛久シャトーの営業を開始
  • 昭和44年(1969) 園内にて物販、飲食を開始
  • 平成08年(1996) 地ビールの製造を開始
  • 平成15年(2003) 親会社の合同酒精が持株会社化に伴いオエノンホールディングス株式会社に商号変更
  • 平成19年(2007) 近代化産業遺産(通産省)に認定
  • 平成20年(2008) 国の重要文化財に指定
  • 平成23年(2011) 東日本大震災で大きな被害を受ける
  • 平成28年(2016) 修復工事完了
  • 平成30年(2018) 日本遺産に申請するも落選
  • 平成30年(2018) 業績悪化のため飲食物販事業から撤退
  • 令和01年(2019) 牛久市と賃貸借契約を締結
  • 令和02年(2019) 牛久市出資の第三セクターで飲食物販事業を再開
  • 令和02年(2020) 日本遺産(文化庁)に認定

牛久シャトーの課題と今後について

現在の牛久市はどちらかと言うと、都心への通勤圏内なのでベッドタウンと言うイメージが強いですね。ブドウの産地だとは思いません。

略歴を見るとそんな変遷が見えてきます。

歴史遺産としての評価を連続して受け続ける中、シャトー内の飲食、物販からの撤退はかなりショックな出来事でした。管理人も良くここで日本ワインの美味しいのを仕入れました(^_-)-☆

牛久市民も嘆願書を出したり、市議会も支援策の決議をしたりと、牛久シャトー保存の機運が高まった結果、略歴の通り、経営主体が牛久市に変わり、もとの鞘に収まったようです。

ただ、牛久市出資の第三セクターと言っても、市は赤字補填はしないそうですから、今後は飲食や物販に頼らなくても「人を呼べる」ような仕組みや仕掛けを考えていかなければならないでしょう。

幸いに、牛久駅から歩いても近い。

ご批判は覚悟の上で、牛久シャトーの課題と問題点を整理して見ました。

ボランティアガイドがいない… 

企業が経営していた時代はそれで良かったのでしょうが、市が運営するようになれば、このメリットを活かさない手はない。低い報酬でシニアの成り手は掃いて捨てるほどいる。また、ガイドすることで、魅力的な遺産をより魅力的に演出させることが可能になります。

運営が代わっても変わり映えしない

オエノン(共同酒精)が運営していた時代に何度か行っていますが、カラーが変わっていない。むしろサービスが縮小しているように思えました。カネをかけなくても、第三セクターだからできる手作り感満載の運営は、各地の鉄道路線で証明済みですね。

また、有力な集客マシンの誘致も必要です。ホテルは駅に近いのでアクセス抜群。ブドウはもちろん梨などの観光農園。子供を呼べる遊園地、などなど。

入園料を取る

最低料金100円でも良いので入園料を取りましょう。これだけの歴史遺産をタダで観られるところは、そんなにない。収入源がレストランとショップだけでは、いずれ立ち至らなくなるでしょう。

職員の教育があまりされていない

ちょっと厳しいようですが、「お客様を迎える」という雰囲気が感じられない。オモテナシはカネをかけなくても教育や、社長の心意気で変わるもの。すれ違う職員の一人たりとも「おはようございます」の一言がなかったのは寂しい。

さて、それではいつものように、マイYouTube動画でご覧下さい

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