江戸時代に建立されて、今なお現存する五重塔を巡るシリーズ第一弾!!!
千葉県市川市にある法華経寺にやってきました。中山法華経寺(なかやまほけきょうじ)とも呼ばれています。
日蓮宗の大本山で由緒ある寺院ですが、何といっても今日のお目当てはここの五重塔です。もちろん国指定の重要文化財です。

江戸の五重塔考察
文化庁のデータベースによると、五重塔の国宝、重要文化財は全国で38ヵ所あります(うち国宝は11ヶ所)。そのうち京都と奈良で9ヵ所ですが、意外と全国に散らばっています。
五重塔は三重塔に比べて数は少ないですが、それぞれにメジャーですからご存じの方も多いですよね。
そのうち関東に国指定重要文化財が4ヶ所あります。少ないです。
- 東照宮五重塔(栃木県日光市)… 1650年建立、焼失後1818年再建
- 法華経寺五重塔(千葉県市川市中山)… 1622年建立
- 旧寛永寺五重塔(東京都台東区上野公園)… 1631年建立、焼失後1639年再建
- 本門寺五重塔(東京都大田区池上)… 1608年建立
※寛永寺の上に「旧」と付いているのは、現在の所有が寛永寺ではなく東京都である理由からです。
江戸六塔(えどろくとう)と言うカテゴリーも昔からあるようです。
江戸時代に建立された江戸の仏塔のことで、
- 〇旧寛永寺(現存)
- 〇池上本門寺(現存)
- ×芝増上寺(東京大空襲で焼失)
- △浅草寺(東京大空襲で焼失、戦後コンクリート造で位置を変えて再建)
- ×谷中天王寺(放火により焼失)
- △宝仙寺の三重塔(東京大空襲で焼失後、平成に飛鳥様式で再建)
ここに法華経寺が入ってないのがちょっと寂しいですね。きっと江戸市中ではなかったからでしょうか。それから、先の大戦の大空襲はやはり痛い”(-“”-)”
また、江戸四塔と言うのもあるようで、〇旧寛永寺、〇池上本門寺、×芝増上寺、×谷中天王寺がそれです。
〇が現存で、×が焼失、△が近年に再建です。
整理すると、現存する江戸時代建立の江戸の五重塔は、
旧寛永寺、池上本門寺、それに法華経寺も入れさせていただいて、三つに絞られました。日光東照宮は江戸には程遠いので除かせていただきました。
日光東照宮も含め、いずれの塔も江戸時代の前期に建立されています。建立ブームでもあったのでしょうか。東照宮は当然として徳川幕府、とりわけ家康公の力の表れとみてもいいかもしれませんね。
この三つすべてをYouTubeにアップして、コンプリートしようと思います。日光東照宮は何度も行っていますが、ちょっと遠いのでまた次の機会に”(-“”-)”
まずは法華経寺から。
法華経寺について
いつものようにウイキペディアから引用します。
中山三法類(親師法縁、達師法縁、堺法縁)の縁頭寺であり、日蓮の説法と安息の地である。境内の鬼子母神も広く信仰を集め、江戸三大鬼子母神に含まれる。日蓮の書跡『観心本尊抄』、『立正安国論』は国宝、境内建造物の多くは重要文化財に指定されている。
日蓮はその布教活動の中で幾度と無く迫害を受けたが、その際千葉氏に仕えていた富木常忍や太田乗明は管轄していた八幡荘に日蓮を迎え入れ保護した。特に千葉氏の被官であった富木常忍は、日蓮のために若宮の自邸に法華堂を造営し安息の場を提供するとともに、文吏であったため紙筆を提供してその執筆を助けた。当寺に多くの日蓮の遺文が遺されているのはその縁であると言われている。
当寺を中心に門前町が広がり、正月や節分の際は大勢の参拝客で賑わう。
法華経寺 – Wikipedia
法華経寺には二つの国宝も含めて多くの重要文化財があるのですが、古文書を除いて見ることができるのは建造物で、国指定重要文化財に指定されているものが五重塔を入れて四ヵ所あります。
- 五重塔
- 祖師堂(現在全面改修中)
- 法華堂
- 四足門
法華経寺は日蓮上人が最初に開いたお寺と言われています。また、荒行の修行場、鬼子母神信仰などが有名です。
法華経寺の五重塔について
五重塔は仏舎利を安置する塔であることは、皆さんご存じでしょう。
法華経寺の五重塔は、江戸時代の元和8年(1622)に、本阿弥光室(刀剣家/本阿弥家11代)が両親の菩提を弔うために、加賀藩前田利光公の援助を受けて建立したと言われています。
高さは約30メートル、池上本門寺や旧寛永寺のものとほぼ同規模のようです。

アクセス
京成本線中山駅を下車するとすぐに参道が伸びています。迷うことはありません(^^)/
参道沿いは商店街にもなっていて、地元の方々の手厚い信仰があることが雰囲気でわかります。末寺も数多く並んでいます。
それではマイYouTube動画でご覧下さい。