風土記の丘でニッポンの昔を探る

一人歩き探検旅

今日はJR成田線に乗って、「房総のむら」に行ってきました。お目当ては明治時代に学習院の講堂として建てられた「旧学習院初等科正堂」なのですが、見どころはそれだけではなさそうです。

ここには正堂のほかに、龍角寺古墳群や岩屋古墳旧御子神家住宅など、国の史跡・重要文化財が多数保存されているまさに、宝の山、なのです。

広大な敷地内は「ふるさとの技体験エリア」と「風土記の丘エリア」に分かれています。

「ふるさとの技体験エリア」には、江戸時代後期から明治時代の街並みを再現していて、ドラマや映画のロケ地としても有名なスポットとなっていますが、どちらかと言うと今風の公園です。

一方、「風土記の丘エリア」には、

  • 国の史跡である、龍角寺古墳群と岩屋古墳
  • 明治32年(1899年)建造の学校建築である国指定重要文化財「旧学習院初等科正堂」
  • 安永9年(1780年)に安房郡丸山町(現・南房総市)に建てられた国指定重要文化財「旧御子神家住宅」
  • 寛延4年(1751年)に富津市亀沢に建てられた千葉県指定有形文化財「旧平野家住宅」

などがあります。

今日はちょっと欲張りですが、風土記の丘エリアの三つの建造物と、岩屋古墳を中心に巡ってみたいと思います。

旧学習院初等科正堂(国重文)

西洋建築のデザインを取り入れながら、日本の伝統的な木造建築の技術で造られ、明治洋風建築としての風格を備えた、この時期の数少ない講堂建築として貴重だそうです。

とにかく、インスタ映えします!(^^)!

新宿の学習院から移築されたもので、設計は建築家の新家孝正(にいのみたかまさ)です。

文化庁のデータベースでは以下のように解説されています。

東京四谷尾張町に講堂として建てられたが 昭和十二年皇太子の入学に備えて新築する際、千葉県印旛郡遠山村(現成田市)に払い下げられ、同村立尋常高等小学校(現成田市立遠山中学校)の講堂として移築された。
木造平家建で装飾が少く意匠は簡潔であるが、様式手法は堅実で落着いた趣をもつ。

国指定文化財等データベース (bunka.go.jp)

略歴を見てみましょう。

  • 明治32年(1899) 現在の新宿区若葉町に学習院初等科正堂として建造される
  • 昭和11年(1936) 皇太子(昭和天皇)の入学に備えて正堂を建て替えるため、宮内庁下総御料牧場(当時)があった、千葉県印旛郡遠山村が新設する尋常高等小学校に下賜を決定
  • 昭和12年(1937) 移築工事を開始
  • 昭和13年(1938) 遠山尋常高等小学校(のちの成田市立遠山中学校)の講堂として使用
  • 昭和48年(1973) 国の重要文化財に指定 新東京国際空港(成田空港)の建設決定により防音対策のための建て替えが決定
  • 昭和50年(1975) 成田市から千葉県に寄贈され、現在地へ移築

昭和天皇が皇太子時代に、初等科入学に際して「引退勧告」され、下賜(かし)された建物なんですね。

新空港の建設が決定後、三里塚闘争の決起大会などに利用されたそうです。昭和50年までは成田闘争のド真ん中に建っていたわけですからね。

最近では、AKB48や乃木坂46のPV撮影にも使用されたそうですが、管理人には理解不能です(笑)

インスタ映えする全景

旧御子神(みこがみ)家住宅(国重文)

安房(現、南房総市)地方に建てられたもので、この地方の典型的な民家です。こちらも移築されたものです。

「直屋(すごや)型」(注)という形式の民家だそうです。

(注)直屋(すごや)型 – 建築史用語で、「分棟形」(床上部分と土間部分に別個に屋根を架ける)、「曲家」(馬屋などの突出部があり、上から見た屋根形がL字形となる)に対し、床を張った部分と土間が一つの屋根になっているものを指す。

旧御子神家住宅 – Wikipedia

建立当時の費用明細を書き記した「普請(ふしん)入用覚帳」と1844年(天保15年)に屋根の葺替え費用を書き記した「屋根替覚帳」も残されている。これら2冊の文書も建物とともに重要文化財に指定されている。

旧御子神家住宅 – Wikipedia

文化庁のデータベースでは以下のように解説されています。

御子神家住宅は普請帳により安永八年(一七七九)に建設されたことが明らかで、十八世紀後半における農家の好資料である。 保存がよく当初の平面がわかり、当時の一般農家の平面を知ることが出来る。

国指定文化財等データベース (bunka.go.jp)

略歴を見てみましょう。

  • 安永08年(1779) 安房郡丸山町(現南房総市)で、御子神家の住宅として建設
  • 昭和44年(1969) 国の重要文化財に指定
  • 昭和48年(1973) 現在地に移転

旧平野家住宅(千葉県有形文化財)

寛延4年(1751)に、現在の千葉県富津市亀沢に建てられました。この地の名主だったようです。

昭和46年(1971)まで、改造や増築を行いながら現役で使われていたそうですが、のちここに移設されました。残念ながら、現在保存修理中だとかで外観のみしか見ることができませんでした。

岩屋古墳(龍角寺古墳群105号墳)

今回、文化の日(11月3日)に訪問したのですが、とてもラッキーで、年に2回しか特別公開しないという日に当たってしまいました(^_-)-☆

特別公開で体験できたのが、、、

  • 石室の内部に上半身を入れて覗けたこと(普段は入口が頑丈な扉で閉まっている)
  • 墳丘の登頂ができたこと(普段は保護のため登頂禁止)

岩屋古墳は龍角寺古墳群と言って、千葉県を代表する古墳群です。この周辺に数多くの古墳が点在しています。

その築造は、6世紀前半から7世紀前半と言いますから、古墳時代の終わりごろでしょうか。その中でも一番大きな古墳がこの岩屋古墳だそうです。

「方墳(ほうふん)」と言う種類の古墳では日本で最大だそうです。

石室の内部は、通常は頑丈な扉が閉まっているので、鉄格子の隙間からしか覗くことができません。文化の日と春のイベント開催日の年二回のみ、このような特別公開があるようです。

石室内の様子(しっかり動画でも撮れました)

アクセス

「房総のむら」のほうは、日光江戸村のような古い街並みや体験コーナーがあったりして、ファミリーで大変にぎわっていました。

一方、正堂や古民家、古墳群は訪れる人も少なく、静かにたたずんているという感じです。建造物や歴史好きには魅力的な穴場スポットだと思います。

アクセスですが、

  • 電車、バスの場合は、JR成田線の安食駅や成田駅から一時間に一本程度路線バスが出ています。
  • 徒歩の場合は、JR成田線下総松崎駅から30~40分です。案内板があるので迷うことはありません。
  • 車の場合は、かなりの数の駐車場が用意されています。

それでは行ってみましょう。いつものようにマイYouTube動画でご覧下さい。

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