国宝円覚寺舎利殿と夏目漱石の「門」

一人歩き探検旅

今日は三が日の最終日。鎌倉五山の一つ、鎌倉の円覚寺を訪ねます。臨済宗の寺院です。正式名称を「瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)」と言います。

円覚寺派の大本山です。

ここの舎利殿は国宝なのですが通常は一般公開されません。特別に公開されるのは正月三が日と、5月のゴールデンウィーク、あと宝物の風入れをする11月だけ。年間で9日間だけなのです。

なぜかと言うと、この舎利殿は塔頭である正続院の中にあり、正続院は修行僧の禅堂(道場)になっているからで、日ごろは立ち入り禁止なのです。

国宝と言えば、円覚寺には工芸品としてのカテゴリーで、国宝の梵鐘があります。「洪鐘(おおがね)」と呼ばれています。一般公開されているので、いつでも拝観できますが、急な階段を弁天堂まで上らないといけません。体力勝負です。

なお、この洪鐘の除夜の鐘は和尚さんが撞きます。一般の方は近くで聴くだけです。

それからもう一つの見どころは、、、

円覚寺は、かの夏目漱石が実際に禅を組んだところなのです。漱石の前期三部作と言われるなかの「門」の作品にその模様が書かれています。

漱石が実際に滞在したのは10日間ほどですが、円覚寺内の塔頭(たっちゅう=高僧の塔)の一つ、帰源院にその宿を求めました。

ちなみに、島崎藤村も禅を組むためここ帰源院を訪れています。作品の「春」の中に出てくるらしいのですが、管理人はまだ読んでいません。

と言うことで円覚寺の主要な見どころを整理すると、

  • 国宝の舎利殿(限定日のみ公開)
  • 国宝の洪鐘(一般公開)
  • 夏目漱石や島崎藤村の帰源院(通常は非公開らしいのですが…)

カワセミが飛ぶ、妙香池(国の名勝/史跡)もとても風流です。

それでは動画をご覧いただく前に、いつものように少しお勉強。すぐ動画をご覧になりたい方は一番下までスクロールしてください(^^♪

禅宗と円覚寺について

臨済宗は鎌倉時代初期、天台宗の僧であった栄西が、中国南宋から禅宗を持ち帰り広めたと言われています。臨済宗の開祖ですね。

同じ禅宗の曹洞宗は地方の豪族や一般民衆の中で広まりましたが、開祖の栄西は時の権力者であった源頼家(鎌倉幕府二代将軍)の庇護を受けたため、鎌倉の地に禅宗が広まり根付いたということらしいです。

のちに述べる鎌倉五山と言われる有力な臨済宗寺院が出来上がるわけです。

皆さんご存じのように、本格的な武家政権を最初に起こしたのは、源頼朝による鎌倉幕府ですね。それまでの平安時代は公家が政治の実権を握っていました。

平安時代、その公家が庇護していたのは天台宗や真言宗寺院などの既存の宗門です。この既存の宗門との権益の対立と、「禅」と言う骨太な信仰方法も相まって、鎌倉殿が臨済宗に飛びついたのは何となくわかりますね。

鎌倉幕府が足利尊氏に滅ぼされ、京都の室町に室町幕府を起こしますが、そこでも臨済宗は武家の宗教として引き継がれ、京都五山と言われる同様の繁栄が築かれました。

円覚寺(えんがくじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある寺院。正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ 山号: 瑞鹿山)と号する。臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。

鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権・北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護された。

JR北鎌倉駅の駅前に円覚寺の総門がある。境内には現在も禅僧が修行をしている道場があり、毎週土曜日・日曜日には、一般の人も参加できる土日坐禅会が実施されている。かつて夏目漱石や島崎藤村、三木清もここに参禅したことが知られる。

円覚寺 – Wikipedia

鎌倉の禅宗と禅宗様

臨済宗では「禅宗様(ぜんしゅうよう)」と言われる独特な中国式の大建築が建てられました。ここの舎利殿はその代表的な建築物なのです。

禅宗様については、ちょっと難しいので引用します。

唐様(からよう)建築とも。鎌倉前期,禅宗と同時に中国から導入された建築技術をもとにして国内で造りあげられた新しい建築様式。中国の本格的な建築様式が導入されたのは1253年(建長5)に創建された鎌倉建長寺が初めと思われる。以後京・鎌倉の禅宗五山に続々と中国風の大建築が建設された。禅宗様建築の遺構は鎌倉末期以後の中規模のものしか現存せず,初期の建築様式の詳細は不明。技術的に洗練されたのは南北朝末~室町初期で,鎌倉の円覚寺舎利殿はこの頃のもの。堂内を土間とすること,裳階(もこし)を用いること,貫(ぬき)の使用,天秤(てんびん)形式の組物,海老虹梁(えびこうりょう)など細部に特有の彫刻をほどこすなどが特徴。

山川 日本史小辞典 改訂新版 「禅宗様建築」

すでに昨年レポートした、東村山市の「国宝 正福寺地蔵堂」は同じ臨済宗ですが、この円覚寺舎利殿と瓜二つの禅宗様です。

正福寺地蔵堂はコチラ

円覚寺舎利殿はコチラ

鎌倉五山

臨済宗の寺院の寺格であり鎌倉にある五つの禅宗の寺院。

五山の制度はもとは南宋の寧宗のころにインドの五精舎十塔所にならって創設されたものである。

12世紀末以後、臨済宗は鎌倉幕府からの庇護を受け、各地に寺院が建立された。臨済宗が鎌倉幕府から庇護を受けるようになったのは、九州で朝廷に近い箱崎宮など既存宗門と新興勢力の栄西らの対立があり(興禅護国論参照)、また対中貿易では朝廷に近い箱崎港と禅宗勢力の博多港での利益の獲得競争もあり、鎌倉幕府は既存勢力に対抗するため新興の臨済宗を保護する政策をとったことが背景にある。

鎌倉末期の五山制度には明らかでない点もあり最初に五山と称されていた寺院も諸説ある。今枝愛真の説によると最初に鎌倉幕府によって五山と称せられていたのは鎌倉の諸禅刹で「当初の五山は鎌倉のみに限定されていた」としている。ただし、鎌倉時代の創設当初は鎌倉と京都で一緒に五つの寺を五山に定めていたとする説もある(室町時代に京都と鎌倉に分けて五山が定められたとみる)。小此木輝之は鎌倉時代の五山を、建長寺、円覚寺、寿福寺、建仁寺(京都)、浄智寺と推定している。

鎌倉幕府は政争や戦乱によって勢力下に入った荘園や領地を御家人に分け与えたが、一部は寺社領とし、幕府の領地も含めてその管理を禅寺に委ねた。

至徳3年(1386年)、室町幕府3代将軍・足利義満の時に南禅寺を別格として五山之上とし、京都の天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺、鎌倉の建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺をそれぞれ五山に決定しその後の五山制度の根幹となった。

鎌倉五山 – Wikipedia

このように鎌倉では「禅宗五山」というように、臨済宗のお寺の寺格(序列のこと)を上から5つ並べて呼ぶようです。

上から並べると、①建長寺、②円覚寺、③寿福寺、④浄智寺、⑤浄妙寺となります。時代によって変遷があるようですが、現在はこのようです。

京都五山についてはまた別の機会に(^_-)-☆

円覚寺舎利殿

日本で最古の禅宗様の建造物と言われています。前述の東村山市の「国宝 正福寺地蔵堂」も同時期の建立ですから、果たしてどちらが先でしょうかねえ…。

神奈川県唯一の国宝建造物で、境内の奥に位置する塔頭・正続院の中にある。「塔頭」とは禅寺などで、歴代住持の墓塔を守るために作られた付属寺院のことを指し、正続院は開山無学祖元を祀る重要な塔頭である。

舎利殿は入母屋造、杮(こけら)葺き。一見2階建に見えるが一重裳階付きである。堂内中央には源実朝が南宋から請来したと伝える仏舎利(釈尊の遺骨)を安置した厨子があり、その左右に地蔵菩薩像と観音菩薩像が立つ。

この建物は、組物(屋根の出を支える構造材)を密に配した形式(「詰組」という)、軒裏の垂木を平行でなく扇形に配する形式(扇垂木という)、柱・梁などの形状、花頭窓(上部がアーチ状にカーブした窓)や桟唐戸(さんからど、縦横に桟をはめた扉)の使用など、典型的な禅宗様の特徴を持つ。

かつては鎌倉時代の建築と考えられてきたが、規模・形式が近似する正福寺地蔵堂が室町時代の応永14年(1407年)の建立とされたことから、同じ頃(15世紀前半)の建築と考えられている。また、鎌倉市西御門にあった尼寺太平寺(廃寺)の仏殿を移築したものと推定されている。

鎌倉時代建立の善福院釈迦堂(国宝、和歌山県海南市)や功山寺仏殿(国宝、山口県下関市)とともに、禅宗様建築を代表するものと評価されている。通常は非公開で、正月3が日と11月3日前後に外観のみが公開される。なお神奈川県立歴史博物館に内部の当寸復元模型があり、上記の建築意匠を間近に確認することができる。

円覚寺 – Wikipedia

関東の国宝建造物について

全国に国宝として指定されている建造物は230件あります。建造物ですから、京都と奈良が圧倒的に多いですが、それでも全国に散らばっています。

そのうち関東地方(一都六県)の国宝(建造物)を、文化庁データベースで検索してみました。12件あります。いや、12件しかありません( 一一)

  • 栃木県  7件(東照宮唐門、東照宮東西廻廊、東照宮透塀、東照宮本殿等、東照宮陽明門、鑁阿寺、輪王寺大猷院霊廟)
  • 群馬県  1件(旧富岡製糸場/世界遺産)
  • 埼玉県  1件(歓喜院/通称妻沼聖天山)
  • 東京都  2件(正福寺地蔵堂/東村山市、旧東宮御所/通称迎賓館赤坂離宮)
  • 神奈川県 1件(円覚寺舎利殿/鎌倉市)

これで12件の国宝のうち5件をレポートしたことになります。日光東照宮グループ6件と富岡製糸場はすでに過去行っていますが、マイブログやマイYouTubeには投稿はしていませんね。

いずれ機会があったら再訪するとしましょう。京都や奈良、地方のほうはヒマはあるのですが、カネのほうが心配なので(苦笑)、自重自戒します。

アクセス

JR北鎌倉駅下車して目の前です。下車したら円覚寺側の東口ではなくて、反対の西口に出て左折して回り込んでください。

線路をまたぐことになりますが、そこはもう円覚寺境内。国認定の名勝史跡になっている白鷺池を眺めながら向かってください。

お待たせしました。それではマイYouTube動画でご覧下さい。

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