鎌倉五山第一位の風格、建長寺を訪ねる

一人歩き探検旅

正月三が日の最終日、円覚寺舎利殿を堪能したあと、やってきたのは建長寺です。円覚寺を訪ねて建長寺に行かないわけにはいきません。近いですし(^^)/

もっとも、建長寺も文化財の宝庫で見どころいっぱいなのです。特に、今年は辰年なので天井画の雲龍図を見てみたい。

さて、その建長寺ですが、正式名称を「巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)」と号します。円覚寺と同じく臨済宗のお寺ですが、こちらは鎌倉五山の第一位に序せられる格式最高峰の禅寺です(ちなみに円覚寺は第二位)。

禅宗のことや鎌倉五山については、円覚寺のページで述べていますのでそちらをご覧下さい。

建長寺について

建長寺のパンフレットに縁起が簡便に書かれていますので、それをまず紹介しましょう。

建長寺は正式名称を「巨福山建長興国禅寺」といいます。建長5年(1253)に鎌倉幕府5代執権北条時頼によって創建されました。わが国最初期の禅寺。鎌倉五山第一位。臨済宗建長寺派の大本山です。初代住職には中国の僧欄渓道隆(らんけいどうりゅう)が招かれ、宋時代の純粋で厳しい禅がそのまま実践されました。

Wikipediaによると

創建
建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼により創建された禅宗寺院で、建長5年(1253年)に落慶供養が営まれている。開山(初代住職)は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)であった。当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定していた。京都にある朝廷の全国支配力は弱まり、政治的には鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者であり、禅宗に深く帰依していた。

創建の時期については、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われたとある。造営開始時期については建長元年(1249年)ないし2年からとする異説もあるが、おおむね建長元年(1249年)頃から造営の準備がなされ、同5年(1253年)に完成したとされる。建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった。建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来している。

建長寺 – Wikipedia

円覚寺の創建が1282年、第八代執権北条時宗(時頼の次男)によるものですから、建長寺創建はそれより30年ほど遡ります。鎌倉五山の序列が第一位が建長寺(父親の時頼創建)で、第二位が円覚寺(子供の時宗創建)だということで、納得いきますね。

建長寺は珍しく地蔵菩薩を本尊にしています。

そして、すでに昨年末にレポートした東村山市の正福寺地蔵堂ですが、北条時頼または時宗の創建だと言われています。正福寺の国宝地蔵堂は地蔵菩薩を祀ったものですから、ここで地蔵と地蔵がしっかりとつながりました(^_-)-☆

いろいろ訪ね歩くと、瞬間、手を叩くような感動の事実に突き当たります。

だからやめられません(笑)

建長寺の見どころ

建長寺の建造物は度重なる大地震や火災で焼失し、再建を繰り返しています。円覚寺舎利殿のような国宝の建物はないものの、梵鐘が国宝(美術工芸品)ですし、しっかり国宝に準ずるものが残されています。

見どころをお伝えしましょう。

  • 梵鐘… 国宝(美術工芸品) 建長7年(1255)鋳造 円覚寺の鐘と並んで鎌倉時代梵鐘の双璧 創建時からのもので境内で一般公開
  • 三門… 国指定重要文化財 安永4年(1775)再建 東日本最大の規模 一般公開
  • 仏殿… 国指定重要文化財 正保4年(1647)に芝増上寺の御霊屋を移築 一般公開
  • 法堂… 国指定重要文化財 文化11年(1814)再建 関東最大級の木造建築 天井の水墨画雲龍図(小泉淳作画伯)は圧巻の迫力 一般公開
  • 唐門… 国指定重要文化財 正保4年(1647)に芝増上寺の御霊屋唐門を移築 一般公開
  • 庭園… 国の名勝・史跡指定 一般公開
  • 境内… 国の史跡指定 一般公開

国宝の梵鐘ですが、円覚寺と同じく、ここでも夏目漱石に関係するエピソードがあります。漱石と言えば正岡子規と親友であったことが知られていますね。

円覚寺レポートは国宝円覚寺舎利殿と夏目漱石の「門」をご覧下さい。

正岡子規の代表作で超有名な俳句、「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」は、夏目漱石の「鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺」を下敷きにしているという説があります。

鐘つけば~、を詠んだ前年暮れに、漱石はノイローゼを治すためとして座禅のため、円覚寺の帰源院に逗留しました。その時、建長寺にも立ち寄ったのでしょう。

このほか、国指定重要文化財で「昭堂」と「大覚禅師塔(石塔)」がありますが、禅道場内なので非公開です。梵鐘の奥に道場があるらしいですが、案内パンフレットにも載っていません。

また、養老孟司の虫塚や、その先の鎌倉半蔵坊も行きたかったのですが、次のスケジュールの都合上割愛しました。また次の機会に。

それから、一般公開されているものは個人利用に限り撮影フリーのようです。堂内の撮影もオッケーのようなので、安心して撮影させてもらいました。

もちろん合掌の上です(^_-)-☆

アクセス

JR北鎌倉駅から徒歩で15分ほど。円覚寺とセットで行くと良いでしょう。

建長寺の門前に点心庵と言う、精進料理「けんちん汁」が食べられるお店があります。建長→けんちん、つまり建長寺は発祥の地でもあります。

余談ですが、隣接する鎌倉学園は建長寺の管長が発足に関係しています。桑田佳祐や堺正章の出身校です。

それではマイYouTube動画でご覧下さい。

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