益子の西明寺(益子観音)三重塔

一人歩き探検旅

今日は益子焼の里に、室町時代から残る三重塔を訪ねます(^_-)-☆

ここの三重塔は、関東以北では最古級、茨城県桜川市の富谷観音と並び、室町時代の創建です。国指定重要文化財では関東以北に五ヶ所しかないのですが、中でも由緒あるものなのです。

富谷観音はすでにレポートしています。コチラをご覧下さい。

室町時代創建の富谷観音三重塔は関東の宝

西明寺は坂東20番札所の観音霊場としても有名です。正式名称を「獨鈷山(とっこさん)普門院西明寺」と言います。

重要文化財は三重塔のほか、楼門と本堂内の逗子が国の指定になっています。

西明寺について

お寺の公式サイトから引用します。

坂東20番札所・西明寺
益子町の郊外に位置する獨鈷山(とっこさん)。西明寺はその南斜面の中腹にあります。 正式名称は「獨鈷山普門院西明寺」。真言宗豊山派に属し、本尊は十一面観音菩薩。坂東巡礼第20番、下野第13番の札所でもあります。
益子という氏は「土佐日記」で知られる紀貫之の後代、紀一族が益子に移り住み、西明寺の地「権現平」に紀貫之を祀ったことから始まりました。その紀貫之夫妻の像は現在、西明寺本堂の奥に安置されております。
益子の西明寺は本堂厨子、三重塔、楼門の国指定重要文化財をはじめ、弘法大師堂、鐘桜堂、そしてユニークな「笑い閻魔」で親しまれている閻魔堂があります。
また、18ヘクタールの境内には普門院医療施設の有床診療所があり、その近傍に、介護老人保健施設・看清坊、グループホーム・能羅坊などがあります。

  • 天平09年(737) 行基菩薩の草創。紀有麻呂によって建立される。
  • 延歴元年(782)  一山12坊を数え、隆盛をきわめる。
  • 延喜05年(905) 栄山師によって観音像が修造される。
  • 大納02年(1127) 兵火により堂、塔、12坊とも消失。
  • 治承02年(1178) 堂宇宝塔が再興。
  • 承元03年(1209) 宇都宮景房によって、本堂が修理される。
  • 建長07年(1249) 北條時頼により、七堂伽藍が再興される。
  • 正平06年(1361) 兵火による災厄。
  • 応永元年(1394) 益子勝直により堂宇が再建される。
  • 明応元年(1492) 楼門が建立される。
  • 天文07年(1538) 三重塔が宇都宮家宗により建立される。
  • 元禄14年(1701) 平野赤市発願により本堂が改修される。
  • 正徳04年(1714) 閻魔堂の建立。
  • 淳保07年(1722) 鐘楼が再建され、現況に至る。

こちらのお寺、大変ユニークな運営をしています。

ネット情報と実際にお聞きした話では、

先のご住職はお医者様で、このお寺の境内敷地内に老人福祉施設を誘致し、現在に至っているらしいのです。残念ながらそのご住職は早世され、奥さまが後継となり、いまは子供さんが運営に携わっているらしい。

なので、お寺の周囲に老人福祉施設が点在しています。

マイブログ管理人の私も、最近まで福祉の仕事に携わっていました。

福祉とは、「幸せ」や「豊かさ」を意味する言葉であり、全ての人々に最低限の幸福と社会的援助を提供すると定義されています。

お寺(仏教)と福祉はなかなかつながりがまだまだ薄いように感じます。最澄や空海、法然や親鸞、日蓮などが目指したのは、この「福祉」ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

そういう意味では、大変共感するところが多い。

西明寺の重要文化財

こちらもお寺の公式サイトを引用します。

三重塔(国指定重要文化財)
和様、折衷様、唐様の三様式。三間三重塔婆、目板打の板屋根銅板葺きです。初層二層は和様尾垂木で、軒廻りは初層繁垂木、二層三層は扇垂木。隅木は初層のみ和様、他は唐様になっており、その手法は優美でそれぞれの建築様式の特徴をよく発揮しています。目板打の屋根は軒の出が深く、きつい勾配や反りにもかかわらずバランスのとれた安定感があります。
塔はあらゆる人をあまねく等しく受け入れる、仏の智慧のシンボルでもあります。心柱名には天文6年の墨書。

重要文化財・行事 – 普門院 西明寺 (fumon.jp)

本堂厨子(国指定重要文化財)
本堂内の厨子は全唐様式、一間厨子宝形の造板葺きです。三手先斗栱で柱間にも斗拱を備えた詰組になっています。軒廻りは二軒の扇垂木で特に茅負の反りは美しく、裏甲、屋根の目板打は三重塔と同じ技法によるもので、木鼻の渦紋は楼門の頭貫によく似ています。外部は黒漆塗り。柱上部の金欄巻や唐戸の菱形も特殊な技術が施されています。
厨子の内部柱には応永元年(1394)と記された墨書があります。
本堂内陣には聖観音菩薩、馬頭観音菩薩、千手観音菩薩、延命観音菩薩、如意輪観音菩薩、勢至菩薩――――
いづれも鎌倉時代に作られた仏像が一堂に安置されています。木彫群は県指定文化財。

重要文化財・行事 – 普門院 西明寺 (fumon.jp)

楼門(国指定重要文化財)
純唐様式。三間一戸楼門入母屋造の茅葺きです。礎盤の上に立てられた柱は32角造りで左右の側室は前後に区切られ、前室金剛柵の中に阿形(右)と吽形(左)の仁王(金剛力士)像が配置されています。
また、背面腰組下の蟇股の形態は特異で、彫刻手法による細部の精巧な模様絵が美しく、柱間を飾る中備(箕束)、勾欄の唐様三手先斗拱、頭貫木鼻の繰形彫刻は特色ある渦形文様で、室町時代の特徴をよく表わしています。

重要文化財・行事 – 普門院 西明寺 (fumon.jp)

このほかにも本堂や鐘楼、焔魔堂など歴史的な建造物が多く残っています。これは驚異的なことで地方であるからこそ、と言ってしまえば身もふたもないのですが、素晴らしいことです。

なぜこのような歴史的建造物の遺産が残ったのか?

  • 大きな戦争や紛争がなかった。
  • 大地震や大火などの自然災害がなかった。
  • 開発の手が入らなかった。
  • 地域の人たちの支え(カネも含め)や、信仰があった。

京都や奈良のメジャーな歴史的遺産はもちろんですが、日本の場合、燃えやすい壊れやすい木造建築が主流ですから、余ほどの偶然性がない限り後世に残っていかないわけですね。

アクセス

最寄り駅は真岡鐵道の益子駅ですが、徒歩で一時間近く、バス便もないので車が推奨です。

納経所の受付で係りの方から、「うちのお寺は撮影フリーですよ」とお声をかけていただきました。撮影に関しては変にガードの固い施設が多い中、とてもありがたいことです。

それでは、マイYouTube動画でご覧下さい。

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