ついに国宝を観る~妻沼聖天山

一人歩き探検旅

今日は、関東における建造物としては極めて珍しい「国宝」を訪ねます。東京圏には四つしかない建造物の国宝です!!!

妻沼聖天山は通称名ですが、めぬましょうでんざん、と読みます。

寺院の正式名称は、高野山真言宗聖天山歓喜院

埼玉県熊谷市妻沼にある「歓喜院の聖天堂」、これが国宝です。そして同じ寺院内には重要文化財の「歓喜門」もあるという、なんとも贅沢な場所なのです。

この国宝の聖天堂ですが、国宝になったいきさつが何とも興味深いです。詳細は後ほどレポートするとして、まずは国宝についてお勉強してみましょう。

国宝と重要文化財

管理人のブログをお読みの方は、所々で国宝とは? 重要文化財とは? と言うレクチャーが出てきたと思いますが、それも含めておさらいデス!(^^)!

法律的な背景と指定規模

明治30年から昭和24年までの間に、古社寺保存法および国宝保存法に基づいて「国宝」に指定された物件は、宝物類(美術工芸品)5824件、建造物1059件であったと言われています。

これらの物件がいわゆる「旧国宝」です。

昭和25年に文化財保護法が制定され、これらすべてが一律に「重要文化財」になりました。そこから、選び抜かれたものが「新国宝」となったわけです。

美術工芸品などを入れると相当な数になりますので、そこは割愛して、建造物だけを取り上げてお話を進めます。ちなみに美術工芸品は1万件(うち国宝約900件)を軽く超えます。

ブログ掲載時現在、建造物の重要文化財は2585件、うち国宝は230件です。

※数値は2023.11.04現在文化庁データベースから引用

いかに国宝のハードルが高いかがお解りいただけると思います。しかも我が国の国宝のほとんどは京都、奈良方面に集中していますから、東京圏では極めて貴重です。

こういう逸話があります。

管理人が昔、ある寺院に参拝したときに、そちらの住職が「うちの〇〇は国宝だったのに…」と悔やまれていました。冒頭の法律のなせる仕業ですね。また、「旧国宝」と言う案内看板を掲げるところも見かけることが良くあります。

首都圏の重要文化財と国宝の数

一都四県(東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城)の建造物の重要文化財と国宝の数、対象名を調べてみました。※数値は2023.11.04現在文化庁データベースから引用

  • 東京都…  重要文化財88件、うち国宝2件 (旧東宮御所、正福寺地蔵堂)
  • 神奈川県… 重要文化財56件、うち国宝1件 (円覚寺舎利殿)
  • 千葉県…  重要文化財29件、うち国宝0件
  • 埼玉県…  重要文化財28件、うち国宝1件 (歓喜院)
  • 茨城県…  重要文化財32件、うち国宝0件

建造物で国宝は4件のみ。いかに希少価値なのかと言うことがわかりますね。

歓喜院の国宝

歓喜院について

歓喜院(かんぎいん)は、埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)にある高野山真言宗の仏教寺院である。日本三大聖天の一つとされる。一般的には山号に地名を冠した「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)」と呼称され、公式でも主にその名で案内される。 また、「埼玉日光」(国宝に指定される前は「埼玉の小日光」)とも称されている。参拝客や地元住民からは「(妻沼の)聖天様」などと呼ばれている。

歓喜院 (熊谷市) – Wikipedia
  • 治承03年(1179) 武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立
  • 建久08年(1197) 良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立
  • 寛文10年(1670) 妻沼の大火で焼失、その後再建
  • 享保20年(1735) 林正清を総棟梁として聖天堂再建を開始 彫刻棟梁石原吟八郎
  • 平成15年(2003) 聖天堂本殿の修復工事を開始
  • 平成23年(2011) 竣功奉告法会を執行し、同日から一般公開
  • 平成24年(2012) 聖天堂本殿が国宝に指定

文化庁の解説文を引用します。

歓喜院は高野山真言宗に属し、治承3年(1179)の創建と伝わる。現在の聖天堂は、享保5年(1720)に歓喜院院主海算(かいさん)が再建を発願、民衆の寄進を募り、地元の大工林兵庫正清(まさきよ)によって建設されたものである。
 奥殿、中殿、拝殿よりなる権現造の形式で、延享元年(1744)に奥殿と中殿の一部が完成し、宝暦10年(1760)までに中殿と拝殿が完成した。とくに奥殿は多彩な彫刻技法が駆使され、さらに色漆塗や金箔押などによる極彩色を施してきらびやかに飾る。また、拝殿正面を開放として参詣の便をはかるなど庶民信仰の隆盛を物語る建物である。
 聖天堂は、江戸時代に発展した多様な建築装飾技法がおしみなく注がれた華麗な建物であり、技術的な頂点の一つをなしている。このような建物が庶民信仰によって実現したことは、宗教建築における装飾文化の普及の過程を示しており、我が国の文化史上、高い価値を有している。

国指定文化財等データベース (bunka.go.jp)

文化庁の解説文にもあるように、

同じ権現造り(久能山東照宮が発祥=国宝)で、時の権力者(徳川将軍)により造営された東照宮と比較しても、庶民信仰の結実として造られたこの歓喜院の聖天堂は、十分に国宝としての価値があるということなのでしょう。

その歓喜院の聖天堂ですが、地域の方々の浄財と、職人の技術が結集して平成の大修理を行い、見事な色彩が蘇りました。それも国宝に推挙された要因だと思います。素晴らしい!!!

聖天様

ご本尊の聖天様は、歓喜天(かんぎてん)と言い、仏教の守護神です。ヒンドゥー教の神とされ、象の頭を持ちます。詳細は割愛します。

浅草の待乳山聖天(本龍寺)だとか、奈良の生駒聖天(宝山寺)が有名ですが、やはり国宝のここ妻沼聖天山がいちばんでしょうか。

ちなみに門前には、聖天寿司と呼ばれる「いなり寿司」のお店が三軒あります。ひょろ長い稲荷寿司ですが、管理人が訪問した日は月曜日で定休日でした。食べられなくて残念!

権現造り

仏教寺院なのに権現造り? と思う方もいらっしゃいますよね。

権現造りは日本の神社建築のひとつの様式です。「石の間造り」とも言うそうです。

本殿と拝殿の二棟を一体化し、間に「石の間」と呼ばれる一段低い建物を設けているのが特徴で、発祥は久能山東照宮(国宝)と言われます。起源は寺院の「開山堂」とされるようです。

もちろん日光東照宮も権現造り。有名どころでは上野の東照宮、北野天満宮、香取神社、三峯神社などがこの建築様式です。

では、妻沼聖天山は真言宗のお寺なのになぜ権現造りなの? と疑問に思いますよね。

写真は妻沼聖天山の権現造り 左から拝殿、中殿(石の間)、本殿

神仏習合とは

高野山奥の院の入口付近に鳥居があることは、皆さんご存じですか?

唐から戻った弘法大師空海が、真言宗の聖地として選んだ高野山は、もともと山岳信仰の聖地でした。山岳信仰は神様を祀る山々をご神体としています。そこで空海は時の朝廷に働きかけて、この高野山一帯を譲ってもらったのです。

このことから、特に真言宗では神仏習合について、寛大であったと思われます。管理人が四国八十八カ所を巡ったときも、数多く寺院と神社の合体したものをみました。

寺院(仏教)は時の権力者とつながり、勢力を伸ばしてきた歴史もありますから、各地の神社信仰と手を組んだり、買収したりといったこともあったのではないかと思います。また、日本人の宗教観(神も仏も的な)にも、大きく影響しているでしょうか。

江戸時代には神仏分離の動きも少しはあったようですが、明治維新後の「廃仏毀釈」運動で、明確に神仏が分かれてしまいました。現在の形になったのは明治以後と考えても良いのでしょう。

ただ、妻沼聖天山のように、神仏習合の残った人社仏閣は各地に残っています。寺院によっては参道を明確に分けたりしたようなところも見かけます。

ちなみに妻沼聖天山では、神社建築である権現造りはもちろん、狛犬もたくさん迎えてくれます。以前には鳥居が存在したようです。

ついつい、手を叩いて参拝する方もいるかも知れません(笑)

写真は権現造りの本殿と狛犬

それでは国宝に向かいましょう

JR熊谷駅の北口から朝日バス(太田駅行)に乗車し約23分です。バス停は駅前ではなく、駅の向かいのコンビニの先にありますので注意してください。(不明な場合は北口に案内所があります)

ボランティアガイドの方が一時間おきに案内してくれます。ガイドのお話を聴くか聴かないでは楽しさが数倍違いますので、ガイドさん付き(ガイド費無料)をお勧めします。

それでは、訪問の前に、まずはマイYouTube動画でご覧下さい。

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