廃墟遺産~根岸競馬場跡を訪ねる(詳報)

一人歩き探検旅

日本は西洋のような石の文化ではありませんから、神社仏閣を除き、歴史的な建造物が残っていることは極めて稀です。残るのはお墓くらいだと言われる所以なのですが…。

しかしながら、明治以降の近代化遺産になるとけっこう残っているものなのです。今日は、横浜の住宅地の中に忽然と現れる朽ちはてた廃墟、根岸(横浜)競馬場跡を訪ねます。

YouTubeサイトをリンクしています。ご興味のある方は動画でもご覧ください。

根岸競馬場跡とは…

幕末、時の幕府は生麦事件をはじめとする攘夷運動(異人排斥運動)に手を焼いていました。西洋列国からの圧力も強く、横浜の居留地に住む外国人への待遇改善、いわゆる「ゴマすり」は喫緊の課題でした。

そんな中で発案されたのが、横浜に日本初の西洋式常設競馬場を造ることでした。そこで選ばれたのが根岸台と言われた丘陵地。慶応2年(1866年)に開設されました。当時は東洋一と言われたようです。

のちに根岸競馬場は横浜競馬場と名前を変え、日本人の上流階級にも親しまれるようになりました。皐月賞や天皇賞の前身はこの競馬場からと言われています。

また、コースを造成する過程で、地形の関係から周回を「右回り」としたため、その後、国内の競馬場に広がっていきました。日本に右回りが多いのはこのことからです(海外では左回りが一般的)。

その後の変遷

日本人にも人気を博した根岸競馬場ですが、スタンド(観覧席)は関東大震災被災や老朽化のため、幾度となく改修されました。いまなお現存する廃墟と化した建造物は、「一等馬見所(いっとううまみどころ)」と言われるものです。

設計は米国人建築士のJ・H・モーガンで、現存の建物は昭和5年(1930年)完成のものです。このほか二等馬見所や下見所などがありました。但し、この二つは老朽化のため昭和63年(1988年)に取り壊されています。現存の一等馬見所の屋根の部分も今はありません。

そして、第二次大戦がはじまり、横浜と言う立地から時の海軍省に接収され、昭和18年(1943年)、76年にわたる競馬開催の歴史に終止符が打たれました。

終戦後、日本競馬会は政府に返還を繰り返し要請しましたが、今度は進駐軍に接収されてしまいます。一等馬見所のスタンド側から馬場一帯は、在日米海軍横須賀基地司令部家族の居住地や娯楽施設(ゴルフ場やモータープール)として永らく使用されることになります。

昭和44年(1969年)以降、土地の大部分は米軍から変換されますが、時すでに遅く、周辺の開発進展から競馬場への再生は叶わず、その後、現在の根岸森林公園に生まれ変わりました。

平成21年(2009年)、一等馬見所は経産省の近代化産業遺産に認定されました。朽ちた廃墟遺産はこれから保存活動が進むのでしょうか? 期待したいものです。

現在(ブログ掲載時点)、一等馬見所のスタンド側の一部に米海軍の居住地が残っています。平成27年(2015年)に居住者は退居しましたが、施設そのものはまだ残っていて、ものものしく、フェンスに囲まれています。

撮影禁止の立て看板があるのはそのためでしょうか。個人利用の撮影はできるということですが。

そのことを除けば、根岸競馬場のほとんどは根岸森林公園として、地元の方々の憩いの場になっています。皮肉なことに、米軍が残してくれたであろう(ゴルフ用の)芝生が青々として、清々しい。

ぜひ、行ってみてください(^^♪

アクセス

・JR根岸線根岸駅または山手駅から徒歩20~30分(丘の上なので心して)

・バス便は横浜市営バス 山元町4丁目停留所から徒歩6分(サイトでご確認の上)

YouTubeに動画をアップしました

ココからご覧ください

タイトルとURLをコピーしました