帆船日本丸の総帆展帆を撮る

一人歩き探検旅

今日は、日本丸に乗船します。

と言っても、豪華客船ではありません。国の重要文化財に指定された「帆船日本丸」です。

しかも、今日は年に10数回しか行われない、「総帆展帆(そうはんてんぱん)」の日。満を持しての訪問なのです!(^^)!

※総帆展帆とは…すべての帆(セイル)を広げること。日本丸では春から秋の間の10数日、訓練後登録されたボランティアの協力で29枚全部の帆を広げている。

帆船は、「はんせん」または「ほぶね」と読みます。×ほせん、です。英語では一般的にセーリングシップ(sailing ship)と言います。

日本丸は、×にほんまる、〇にっぽんまる、と読み英語名は ”Sail Training Ship NIPPON MARU” です。

帆船の歴史は古代エジプトに遡ると言われ、紀元前2700年ころには、2脚のマストと操舵用のオールを備えた船があったようです。

15世紀の大航海時代、新大陸を発見したコロンブスが乗船していた、帆船「サンタ・マリア号」は、あまりにも有名ですね。

実は管理人は数年前、このサンタ・マリア号の帆船模型を、数か月かけて製作したことがあるんですね。ですから、帆船の構造はしっかり頭に入っています(笑)

それではいつものように予習を行って、現地に向かいたいと思います。

日本丸、にっぽん丸って何???

何といっても超メジャーな名称ですから、この名を冠する船舶はけっこうたくさんあります。歴史を遡ったり、漁船や個人のクルーザー、ボートの類まで入れれば、数限りないかも知れません。

その中でも、有名どころを少し整理してみました。

歴史上、有名な日本丸

可能な限り情報を、集めてみました。建造(竣工)の古い順から記述しています。

  • 日本丸(安宅船)/ 天正20年(1593年)に豊臣秀吉の命で九鬼嘉隆が建造(諸説あり)。
  • 日本丸(東洋汽船)/ 明治31年(1898)建造の日本丸級貨客船。海外売却ののち、1929年以降消息不明。
  • 日本丸(初代練習帆船)/ 昭和5年(1930)川崎造船所で進水。「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」と呼ばれた人気船。昭和59年(1984に引退、現在、旧横浜船渠第一号船渠で公開中。国の重要文化財に指定。
  • 日本丸(山下汽船)/ 昭和11年(1936)神戸川崎造船所で完成した石油タンカー。昭和19年(1944)アメリカ軍の雷撃で爆沈。
  • 日本丸(二代練習帆船)/ 昭和59年(1984)に竣工した2代目(日本丸II世)。住友重機械工業浦賀工場で建造。帆走性能が大幅に向上し、世界でも有数の高速帆船。現役船。
  • にっぽん丸3世(商船三井客船) 平成2年(1990)に三菱重工業神戸造船所で竣工。外航クルーズ客船。現役船。1世、2世はともにすでに解体。

日本丸(初代練習帆船)が誕生するまで

先にレポートした「明治丸」は、灯台巡視船用にイギリスで建造された補助帆付き汽船でしたが、この日本丸は訓練用に建造されたメイドインジャパンの練習帆船です。

明治丸のマイYouTube動画はコチラ

昭和初期、東京高等専門学校(現、東京海洋大学)や神戸高等専門学校(現、神戸大学海洋政策科学部)では、優秀な練習船を専属に持っていました。「大成丸」や「進徳丸」です。

一方、地方各地の公立商船学校(現、商船高等専門学校=高専)では、持っていても小さな木造帆船ばかりで、海難事故が多く起きていました。

昭和2年(1927)に起きた大きな遭難事故(練習船霧島丸/53名犠牲)がきっかけになり、「日本丸」と「海王丸」の姉妹船、二隻を建造することになりました。

ちなみに、海王丸は現在、富山県射水市の海王丸パークに係留され、一般公開されています。

そして、昭和5年(1930)、日本丸は神戸の川崎造船所で竣工しました。

日本丸(初代)の略歴

  • 昭和02年(1927) 練習船霧島丸が銚子沖で遭難し53名が犠牲
  • 昭和03年(1928) 文部省(当時)により新造船予算を提出
  • 昭和05年(1930) 川崎造船所(神戸)で竣工、進水 10月第一次遠洋航海(南洋諸島)
  • 昭和16年(1941) 太平洋戦争勃発のため外洋訓練を中止 帆装艤装を外し緊急物資の輸送に従事
  • 昭和20年(1945) 被害に遭うことなく終戦を向かえる GHQの管理下に置かれる
  • 昭和21年(1946) 兵隊や民間人の帰還輸送に携わる
  • 昭和25年(1950) 朝鮮戦争に伴う特殊輸送航海
  • 昭和27年(1952) 帆船として復活し、遺骨収集航海へ出港 その後昭和60年まで遠洋航海を実施
  • 昭和56年(1981) 後継の練習帆船の建造計画が決定
  • 昭和58年(1983) 誘致活動で横浜係留が決定
  • 昭和59年(1984) 新造船の日本丸Ⅱに引き継ぎ引退
  • 昭和60年(1985) 旧横浜船渠第一号ドックにて一般公開を開始

建造してから54年間、練習帆船として、また時には戦時下の運搬船、帰還輸送や遺骨収集船として活躍してきたことがわかりますね。戦争を経て無傷で残ったというのはスゴイことです。

日本丸(初代)の実力

帆船日本丸は、「ふね遺産第一号(日本船舶海洋工学会)」、「近代化産業遺産(経産省)」、そして2017年に国の重要文化財に指定されています。トリプル受賞ですね。

国の重要文化財指定にあたり、評価された点を挙げると以下の通りです。

  • 約11500人の船員養成と国際親善や海事思想の普及に貢献したこと
  • 現存船としては極めて少ないリベット構造で、鋼材の残存率が7割であること
  • 比類ない使用実績(54年間)を有する国産初の大型ディーゼル機関(池貝鉄工所製作)であること
  • 概ね全期間の日誌が残されており、工事関係図面類が多数残存していること

いわゆる商船学校とは

東京では「越中島の商船学校(東京商船大学)」、神戸では「深江の商船学校(神戸商船大学)」と呼ばれることが多く、一般的に「商船学校」と言うと、この二校をイメージするようです。

実際には少し違うようなので、整理してまとめてみました。

まず、現在の商船学校は歴史上、大きく二通りのタイプに分かれます。

  • 高等商船学校→東京、神戸、清水の高等商船学校→官立高等商船学校に合併→東京商船大学、神戸商船大学に分割→東京商船は東京海洋大学、神戸商船は神戸大学海洋政策科学部
  • 公立商船学校→官立商船学校→国立商船高等学校(5校)→商船門学校(5校)

ちょっとややこしくなりましたね。

簡単に言うと、高等商船学校の流れをくむのは、現在の国立大学。公立商船学校は現在の各地のいわゆる高専(5校)と言うことになります。

船舶の高級職員養成学校が東京海洋大学で、中級が各地の高専と言う人もいますが、それぞれに役割分担、仕事内容が違うと言ったほうが、いまの時代適切ですね。

ついでに言うと、東京海洋大学は2003年に東京商船大学と東京水産大学が合併して、その名称になっています。ちなみに東京水産大学は、水産業者の養成を目的として設立された教育機関で、戦後に開設されました。

総帆展帆の日本丸に乗船する

実は、この帆船日本丸は「係留扱い」なのです。

実際にはドックから外洋に出ることはもう物理的にできないのですが、船籍を除籍して、ドック内に固定して「建造物扱い」になると、建築基準法などの制約がかかり、貴重な船の構造に手を入れないといけない。

ここに誘致するときに、苦肉の策として検討された結果なのです。先にレポートした「明治丸」は完全に陸地に固定されていますからね。

それと、ドック自体が「旧横浜船渠株式会社第一号船渠」として国指定重要文化財になっていますから、コチラのほうも現状保存しないといけないですね。

何年かに一度は実際に2018年にドックの水を抜いて外装の大修繕が行われています。

ボランティアの方々の協力による総帆展帆や、周辺の魅力的な再開発により、永く現状保存されることを願ってやみません。

それでは、行ってみましょう!!! いつものようにマイYouTube動画でご覧下さい。今回は25分ほどの長尺になっています。悪しからず(#^^#)

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