観光客が知らない浅草寺の文化財を辿る

一人歩き探検旅

今日は浅草の浅草寺(せんそうじ)を訪ねますが、外国人観光客でごった返す、全国でも有数の観光地なので、フツーにレポートしても面白くありません。

ちょっと日ごろ観光客があまり注目しないスポットに狙いをつけてレポートします。

浅草寺について

正式名称は、聖観音宗金龍山浅草寺と言います。

聖観音宗は「しょうかんのんしゅう」と読みます。あまり聞かない宗派ですが、もともと戦前まで天台宗だった浅草寺が、昭和25年に新しい宗派として立ち上げられ、総本山になっています。

もちろんご本尊は聖観世音菩薩です。秘仏なので拝見することができませんし、一説には存在すら疑う専門家もいたようです。

坂東三十三観音の札所13番です。

東京都内で最古の寺院と呼ばれ、その歴史は飛鳥時代から1400年近く続いています。

浅草寺略歴

江戸時代から明治、大正と江戸の観光地として栄えましたが、東京大空襲で大きな打撃を受け、一時は衰退していたようです。地元の方々の努力で現在の賑やかな、東京を代表するスポットになったのは、ごく最近のことなんですね(^_-)-☆

  • 推古36年(628) …飛鳥時代 3月18日の早朝、現隅田川に観音像が流れ着いた(創建とする)
  • 天安元年(857) …平安時代初期 比叡山第3世天台座主慈覚大師円仁が来山(中興の祖)
  • 天慶05年(942) …浅草寺に参籠した平公雅により大規模な七堂伽藍を建立
  • 天正18年(1590) …江戸に入府した徳川家康が浅草寺を祈願所と定める
  • 慶安元年(1648) …五重塔、本堂が再建
  • 明治06年(1873) …境内が公園地に指定される(浅草公園)
  • 明治18年(1885) …表参道両側の「仲見世」が近代的な煉瓦造の建物に生まれ変わる
  • 明治23年(1890) …商業施設と展望塔を兼ねた12階建ての「凌雲閣」が完成(関東大震災で半壊)
  • 大正06年(1917) …日本語の喜歌劇である「浅草オペラ」の上演開始
  • 昭和20年(1945) …3月10日、東京大空襲で旧国宝の本堂(観音堂)、五重塔などが焼失

見どころパワースポット

本堂や五重塔、宝蔵門(仁王門)、その他伽藍のほとんどは東京大空襲で焼失し、戦後に鉄筋コンクリート造りで再建されました。

今回はそれ以外の厳選スポットを紹介しましょう。

  • 旧五重塔跡…徳川家光寄進の五重塔(国宝)であったが、東京大空襲で焼失。境内の本堂に向かって右手、新五重塔と相対して跡地が残る。
  • 旧仁王門礎石…徳川家光寄進の仁王門(国宝)であったが、東京大空襲で焼失。境内にその礎石だけが移設(旧五重塔跡の後ろ側)されて残る。この仁王門は現在の宝蔵門に建っていた。
  • 戦災公孫樹…源頼朝由来で天然記念物に指定されていたが、東京大空襲による戦火で大半を焼失。それでも現在も葉をつけて見事に生きるパワースポット。
  • 二天門…東京大空襲を免れ残る、浅草寺唯一の国指定重要文化財の建造物。江戸時代初期のもの。
  • 浅草神社…浅草寺の境内にあるが明治維新の神仏分離令により別法人として運営されている。三社祭で有名。本殿、幣殿、拝殿が国指定重要文化財。拝殿からひと回りするとみられる。
  • 被官稲荷社…新門辰五郎ゆかりのお稲荷様。浅草神社の後ろにひっそりと佇む。江戸時代後期の建立で出世と商売繁盛にご利益あり。知る人ぞ知るパワースポット。
  • 石橋(しゃっきょう)…薬師堂近くの小川に架かる石橋。日光東照宮の神橋を模して1618年造営。東京では最古の石橋と言われる。
  • 六角堂…影向堂の左隣りにある小さなお堂。1618年の建立で浅草寺では最古の遺構と言われる建物で東京都の指定有形文化財。
  • 伝法院…客殿等は江戸後期の建立で国の重要文化財に指定されている。庭園は国の名勝。但し、いずれも限定公開(毎年春季のみ)で通常は内部参観は不可。取材現在修復中。隣接する鎮護堂から背伸びして庭園が垣間見える。

アクセス

東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線、東武線 東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)各浅草駅より徒歩5分ほど。つくばエクスプレス浅草駅より徒歩10分。

それでは、マイYouTube動画でご覧下さい。

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