東村山市の宝は志村けんと国宝の正福寺地蔵堂

一人歩き探検旅

今日は東京都東村山市にある国宝の地蔵堂を訪ねました。

東村山と言えば志村けんさんが何と言っても有名ですが、実はここに数少ない国宝があるんです。

東京周辺にある国宝の建造物は、、、

の四つなんです。関東地方全体だとほかに、日光東照宮(5件)や、輪王寺、足利市の鑁阿寺、富岡製糸場がありますが、合わせてもたったの12件なんですね。京都や奈良に比べるとダントツに少ない、貴重な建造物です。

千葉県や茨城県には残念ながら国宝の建造物はありません。

なんとしても年内にこの4つの国宝建造物をコンプリートしたかったのですが、これで円覚寺舎利殿が年越ししてしまいました。三が日には拝観できるはずです。

正福寺地蔵堂について、例によって少しお勉強です。

正福寺地蔵堂について

正式名称は臨済宗金剛山正福寺と言います。そこにある地蔵堂が国宝です。

北条時宗が鷹狩りの折病気になり、夢枕に黄衣をまとった地蔵菩薩が現れ丸薬をくれた。これを飲み、眠りから覚めたら病が治ったので、地蔵尊を信仰して、弘安元年(1278年)正福寺を開創したと寺伝にあります。しかし、昭和9年改修の際発見された墨書銘により、室町時代の応永14年(1407年)の建立とわかりました。鎌倉の円覚寺舎利殿とともに禅宗様建築の代表的遺構で、国宝建造物として名高いものです。
 なお、国の指定名称は正福寺地蔵堂ですが、堂内に奉納された小地蔵にちなみ、地元では正福寺千体地蔵堂とも呼ばれています。

正福寺地蔵堂/東村山市 (city.higashimurayama.tokyo.jp)

北条時宗は鎌倉幕府の第八代執権です。開創(開基)は時宗ではなくて父親の時頼とする説もあるようですが、まあどちらでも良いでしょう。

Wikipediaを引用します。

正福寺地蔵堂 – 1952年3月29日国宝指定
禅宗様仏殿の代表作の一つ。尾垂木の墨書から室町時代の応永14年(1407年)の建立と知られる。同時代の建築である鎌倉の円覚寺舎利殿と規模・形式が近似している。内部には本尊地蔵菩薩像のほか、多数の地蔵菩薩の小像が安置されている。

入母屋造、杮葺、一重裳階(もこし)付き。正面、側面ともに3間の身舎(もや)の周囲に1間の裳階が付いた形式で、平面はほぼ正方形である。入母屋造の屋根の端部が反り上がった外観は禅宗様特有のものである。内部は土間で、間仕切りのない一体の空間とし、天井は裳階部分は垂木をそのまま見せ、内陣中央は鏡天井とする。礎盤上に柱を立て、柱間にも組物を置いて詰組とする点、花頭窓・桟唐戸・貫を多用する点など、構造・意匠ともに禅宗様の特色が顕著に見られる。

茅葺であったが1933年(昭和8年)の解体修理に際して建築当初の柿葺に戻された。国立歴史民俗博物館には断面模型がある。

鎌倉街道沿いにあり[要出典]、外部は常時見学可能、年一回の地蔵祭には内部も公開される。

正福寺 (東村山市) – Wikipedia

鎌倉の円覚寺舎利殿と規模や形式が似ているというのは、とても興味深いですね。同じ臨済宗でもあるし、鎌倉街道沿いにあるという点で、交流が深くあったということでしょうか。

ただ、この正福寺ですが、鎌倉の建長寺(臨済宗建長寺派)の末寺でもあったようですから、構造や意匠が禅宗様の特色を持つことに難の違和感もありませんね。

それよりも、この室町時代の建造物がこういった当時の僻地(失礼)に残っているというのが素晴らしい。

戦火や地震などの災害に遭わなかったことも偶然性ですが、何より地元民の信仰の厚さが、永い間保存されてきた原点ではないかと思います。

すでにレポートした、茨城の富谷観音三重塔栃木の益子観音三重塔も、同じく室町時代建立の国指定重要文化財ですが、信仰の強さに共通点があります。

ところで、臨済宗と言えば、一休さんが有名ですね。室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で、一休宗純(いっきゆうそうじゅん)と言うのが正式名です。

話が飛びますが、ここの正福寺、典型的な神仏習合のお寺なんです。

Wikipediaによれば、

神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し、一つの信仰体系として再構成された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。習合、宗教的シンクレティズム(混合主義)の一種。

神仏習合 – Wikipedia

と定義されています。

管理人は数年前、四国歩きお遍路を一か月半かけて満願成就しましたが、八十八ヵ所の札所(お寺)の中に、数多くの神仏習合の形跡を認めました。

また、熊野古道も歩きましたが、こちらも神社とお寺のつながりを多く見てきました。

明治維新の廃仏毀釈の高まりから、神仏分離の動きがおき、いままで同じ境内にあった神と仏のうち、仏を完全に廃すか、境内を二分して入口を別々にするなどが起きて現在に至っています。

ここの正福寺も元はおそらく、八坂神社と同居していたのではないかと思います。現在はお寺と神社の入口を明確に分けて存在しています。

アクセス

西武線東村山駅の西口から、ぶらり歩いても10分足らずです。

東口に志村けんさん銅像がありますから、ぜひそちらも行ってみて下さい。東村山を一躍人気の街にした立役者ですから!(^^)!

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