旧徳川家松戸戸定邸を訪ねる

一人歩き探検旅

先日レポートした千葉県柏市の旧吉田家は豪農の代表格でしたが、今回訪問するのは殿様の代表格です。

水戸藩最後の藩主(11代)であった徳川昭武公の別邸として、明治17年に建てられた由緒ある建物なんです。昭武公の実兄が有名な徳川慶喜公ですので、慶喜公も何度かここを訪れているようです。

この戸定邸は、いくつかの冠(かんむり)を持っています。

  • 国指定の重要文化財(平成18年指定)
  • 国指定の名勝(平成27年指定)
  • 関東の富士見百景(平成17年選定/国土交通省関東地方整備局)

文化庁のデータベース(国指定重要文化財)から引用します。

旧徳川家松戸戸定邸は,水戸徳川家の第11代藩主の徳川昭武が中心となって建てた住宅で,竣工は明治17年4月である。南にある表座敷棟を起点として,各棟が連続もしくは渡廊下で結ばれている。表座敷棟は,床・棚付で十畳の客間や八畳の書斎等からなる。
 旧徳川家松戸戸定邸は,表向きの表座敷棟をはじめ,各座敷棟,玄関棟から内向きの施設まで全体がほぼ完存している大規模住宅として,重要である。洋風を意識した庭園を築きながら,建物は基本的に伝統的な形式を用いており,明治前期における上流住宅の様態の指標となるものとして,歴史的価値が高い。

国指定文化財等データベース (bunka.go.jp)

文化庁のデータベース(国指定名勝)から引用します。

下総台地の最西端にあたり,江戸川とその左岸の低地に臨む松戸の戸定ヶ丘(とじょうがおか)の突端には,徳川幕府第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)の異母弟で水戸藩最後の第11代藩主であった徳川昭武(1853~1910)の邸宅とその庭園がある。戸定邸と呼ばれた邸宅とその庭園は,西方に広がる江戸川の川面を近景として,その遥か彼方に富士山をも遠望できる立地を活かし,主屋の南の緩やかに起伏する芝生地とその縁辺を彩る一群の植樹,西側の傾斜面の常緑・落葉広葉樹を中心とする豊かな樹叢などから成る風致に富んだ景観構成を持つ。
昭武は隠居した後の明治17年(1884)から同19年に居宅の建築,明治23年頃には庭園を含む敷地全体の造作をそれぞれ完了した。昭武が亡くなった明治43年(1910)以降は次男の武(たけ)定(さだ)が邸宅・庭園を譲り受け,第二次世界大戦後の昭和26年(1951)に松戸市に寄贈した。その間,昭武が手掛けた敷地の主たる地割に大きな変更が加わることはなく,築造当初の庭園の意匠・構成の特質は今日に至るまで良好な状態を維持し続けてきた。
借景を主体とする簡素で平明な意匠・構成は同時代の庭園の特質をよく表しており,芸術上の価値及び日本庭園史における学術上の価値は高い。

国指定文化財等データベース (bunka.go.jp)

水戸徳川家について

水戸徳川家は言わずと知れた、徳川御三家(尾張、紀州、水戸)の一つですね。

家祖は徳川家康の11男、徳川頼房。その後の有名な殿様を上げると、、、

  • 水戸光圀… 頼房の三男で第二代藩主 黄門様としてあまりにも有名 大日本史を編纂し水戸学(皇室の尊厳を説く学問)の祖となる
  • 徳川斉昭… 第九代藩主、列公ともいう 水戸学を推進し幕末の尊王攘夷運動に多大な影響を及ぼすが、井伊直弼との政争に敗れて永蟄居
  • 徳川慶喜… 斉昭の七男で、大政奉還を行った江戸幕府最後の将軍

戸定邸の主人、徳川昭武は斉昭の18男で、慶喜は兄にあたります。

徳川昭武と松戸戸定邸の略歴

  • 嘉永06年(1853) 徳川昭武、水戸藩中屋敷で誕生
  • 慶応03年(1867) 14歳、徳川慶喜(将軍)の名代として、訪欧使節団を率いてパリ万博
  • 慶応04年(1868) 大政奉還 のち帰国
  • 明治02年(1869) 16歳、水戸徳川家を相続し藩主となる のち水戸藩知事
  • 明治04年(1871) 水戸藩知事を免ぜられる のち向島小梅邸(旧水戸藩下屋敷)に暮らす
  • 明治08年(1875) 22歳、結婚
  • 明治09年(1876) 万国博で渡米 のちフランス留学
  • 明治14年(1881) フランス留学から帰国
  • 明治15年(1882) 松戸戸定邸の建設開始
  • 明治16年(1883) 30歳、隠居し家督を篤敬に譲る
  • 明治17年(1884) 松戸戸定邸が完成 のち移住
  • 明治22年(1889) 慶喜公が戸定邸に初来訪
  • 明治23年(1890) 松戸戸定邸の庭園が完成
  • 明治24年(1891) 松戸戸定邸が松戸徳川家本邸となる
  • 明治43年(1910) 昭武、57歳で死去
  • 大正09年(1920) 松戸戸定邸が故昭武の次男、武定名義に変更
  • 昭和26年(1951) 建物、敷地を松戸市に物納
  • 昭和27年(1952) 次男武定が戸定邸で死去
  • 昭和29年(1954) 戸定館の名で公民館として一般開放
  • 平成03年(1991) 戸定が丘歴史公園を開園 戸定館は戸定邸として運用
  • 平成18年(2006) 建物八棟が国の重要文化財に指定
  • 平成27年(2015) 庭園が旧徳川昭武庭園として国の名勝に指定

当主であった徳川昭武の、弱冠にして波乱の人生を生きたさまが良くわかりますね。

アクセス

  • JR常磐線松戸駅東口下車 徒歩10分
  • 車の場合は無料駐車場あり
  • 入館時間 AM9:30-PM4:30 休館日は毎月曜日
  • 入館料金 戸定邸のみ一般250円

詳しくは戸定邸までお尋ねください ℡047-362-2050

それでは、マイYouTube動画でその模様をご覧下さい。

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