秋色に染まる上野の山の五重塔は絶景

一人歩き探検旅

12月2日土曜日、外国人観光客でごった返す上野公園にやってきました。紅葉やイチョウの黄葉も見頃です。西郷どんにも逢いたいし(^^)/

でも今日の目的は、江戸に残る五重塔シリーズの第三弾レポートです。旧寛永寺の五重塔です。これで三つの塔をコンプリートします(^_-)-☆

東京にある五重塔で、江戸時代から現存する国指定の重要文化財は3ヶ所あります。すでに先日レポートした中山法華経寺、池上本門寺、そして、ここ上野恩賜公園内の五重塔です。

江戸の五重塔についての考察はすでに前回の中山法華経寺でレポートしていますので、そちらをご覧下さい。

寛永寺と五重塔

寛永寺の五重塔と言わず、旧寛永寺と言うのですが、これには訳があります。

東京大空襲にも焼けなかった寛永寺の五重塔ですが、戦後の混乱期に維持管理が困難になり、東京都に寄付されました。つまりそれまでは寛永寺の所有だったわけです。

徳川将軍の後ろ盾で繁栄した寛永寺は、江戸後期には現在の上野公園のほぼすべてが寺域だったそうです。

その五重塔ですが、寛永8年(1631)に建立され、第五層のみが銅板葺(どうばんぶき)で、他は瓦葺(かわらぶき)となっています。高さは地上から先端の宝珠 (ほうじゅ)まで36mあります。

と言う理由で、この五重塔を間近で観るためには上野恩賜公園に入場する必要があります。上野東照宮までの参道沿いに観ることもできますが、高い鉄柵が邪魔してストレスがあります(笑)

ですから、上野に五重塔があることは知っているけど、印象にないという方も多いのではないでしょうか。寛永寺も東京都も罪なことをしたものです。

寛永寺についてはウイキペディアから引用します。

寛永寺(かんえいじ)は、東京都台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。山号は東叡山(とうえいざん)。東叡山寛永寺円頓院と号する。開基(創立者)は江戸幕府3代将軍の徳川家光であり、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。

徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務めて朝廷との繋がりが深かった。日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇ったが、幕末の動乱期に主要な伽藍が焼失した。かつての境内の大部分は上野公園となっている。

寛永寺 – Wikipedia

正式名称は東叡山寛永寺です。寛永は創建当時の年号から取られています。東叡は、京都の比叡山にならい、「東の比叡山」という意味で付けられています。

もともと徳川家の江戸における菩提寺は増上寺でしたが、将軍家光の時代に新たにこの地に建立されました。

アクセス

12月2日の土曜日に行きましたが、紅葉とイチョウの黄葉が真っ盛りで絶景を堪能しました。動物も良いですが、シニアにはこういった景色が癒しになります(^_-)-☆

身近で見る方は入場料を払って上野恩賜公園に入ってください。すぐわかります。

無料で見てみたいという方は上野東照宮の参道を目指してどうぞ。

それではマイYouTube動画でご覧下さい。

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