足利氏の栄華を極める国宝鑁阿寺と日本遺産足利学校

一人歩き探検旅

2024年新年、成田山新勝寺初詣に続き、二日目にやってきたのは、鑁阿寺です。ばんなじ、と読みます。

正式名称は、金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)。真言宗大日派の寺院ですが、、、。

日本百名城にも選定されている、歴とした「お城」なのです。

隣接してあるのは、日本遺産に認定された足利学校です。こちらもおそらく足利氏先祖(源氏)の居城と一体ではなかったかと思われます。

足利氏とは、鎌倉幕府を倒し、室町幕府を築いた足利氏(足利尊氏)のことです。

ここの鑁阿寺本堂が、関東で数少ない国宝の建造物なんです。

関東地方(一都六県)には栃木県の日光東照宮や、富岡製紙場を入れて全部で12件の国宝建造物があります。この二つは世界遺産でもあります。

この12件の国宝のうち、日光東照宮関係(5件)と富岡製糸場を除くと、残りは6件なのです。京都や奈良に比べると極めて少ないですね。

マイブログやマイYouTubeでもすでに妻沼聖天山迎賓館赤坂離宮正福寺地蔵堂と立て続けにレポートしてきましたが、新年最初はこの鑁阿寺です。

鑁阿寺について

文化庁データベースの解説文を引用してみます。

鑁阿寺は、足利市の中心市街にある、真言宗寺院である。境内は足利氏の居館跡と伝え、周囲に土塁と濠がめぐる。
鑁阿寺本堂は、大日如来を本尊とし、現在の建物は7代足利貞氏により正安元年(1299)に建立されたもので、応永14年(1407)から永享4年(1432)の修理により、柱と小屋組を強化して本瓦葺に改められた。その後、室町時代末期までに背面向拝をつけ、江戸時代中期に正面向拝が改造された。
平面は、典型的な密教本堂の形式だが、内外の組物は、禅宗様の詰組とする。
鑁阿寺本堂は、東日本を代表する中世の密教本堂で、当時最新の禅宗様をいち早く導入した建物である。わが国の宗教建築の構造と装飾の発展に寄与した禅宗様の、受容と定着の様相を示す遺構として極めて高い価値が認められる。
また、様式の摂取には要素の選択が認められ、我が国における外来新技術の受容のあり方を示しており、文化史的に深い意義を有している。

国指定文化財等データベース (bunka.go.jp)

土塁と濠

国宝の鑁阿寺本堂

略歴

  • 平安時代後期   足利氏の祖である源義康が同地に居館(足利氏館)を構える
  • 建久7年(1196)  鎌倉時代初頭 足利義兼(戒名:鑁阿)が理真を招聘し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立
  • 文暦元年(1234) 鎌倉時代中期 足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺となる
  • 正安元年(1299) 七代足利貞氏により本堂建立
  • 南北朝時代    鶴岡八幡宮の支配下となる
  • 明治41年(1908) 鑁阿寺本堂が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(重要文化財に相当)に指定される
  • 大正11年(1922) 「足利氏宅跡」として国の史跡に指定される
  • 昭和25年(1950) 文化財保護法の制定により、本堂は重要文化財となる
  • 昭和26年(1951) 真言宗豊山派から大日派として独立
  • 平成18年(2006) 「足利氏館」として日本100名城(15番)に選定される
  • 平成25年(2013) 本堂が国宝に指定される

確かに周囲の堀割りなどを見ると、居館と言うよりも居城と言った方がピッタリです。

真言宗は現在50の分派があると言われています。その中で大日派と言うのはあまり聞き慣れない派なのですが、戦後にできたもので、鑁阿寺が本山。末寺は5つほどだそうです。

鑁阿寺の国指定文化財

  • 本堂 国宝 1299年鎌倉後期建立
  • 鐘楼 国指定重要文化財 1275年鎌倉後期建立
  • 経堂 国指定重要文化財 1615年江戸前期建立
  • 足利氏宅跡(鑁阿寺) 国の史跡

国宝の本堂は、密教(真言宗)の形式を取りながら、禅宗様式と言って、鎌倉時代初期から禅宗の寺院で取り入れられる中国の建築様式だそうです。

禅宗様式については、また別の機会に掘り下げてみたいと思います。

本堂が国宝指定になったのは、今から10年ほど前ですから、足利市民は両手を挙げて喜んだことでしょうね。

国宝本堂の屋根の紋章

隣接する足利学校

足利学校は修学旅行のコースになっていたりして有名ですね。日本最古の学校と言われる所以です。

創設時期は平安時代か鎌倉時代で、諸説あるようです。江戸時代までは機能していたらしいのですが、明治になって武家の後ろ盾を失い、一気に衰退しました。

一部のものを除き、現在の建造物はのほとんどは近年造営、修復されたものだそうです。

国の史跡であり、最近できたカテゴリーの日本遺産に認定されています。同じグループに水戸市、備前市、日田市の近世教育遺産が入っています。

詳しくは近世日本の教育遺産群をご覧下さい。

建造物自体のほとんどは近年に再現されたものですが、十分に雰囲気を感じますね。孔子廟には、学業成就を祈願する若い学生たちも多く参拝していました(^_-)-☆

日本遺産とは

文化庁が認定するもので、平成27年(2015)に認定が始まり、現在は100を超えるようです。ただ、まだ国民の認知度は低いようですね。

主旨と目的

我が国の文化財や伝統文化を通じた地域の活性化を図るためには、その歴史的経緯や、地域の風土に根ざした世代を超えて受け継がれている伝承、風習などを踏まえたストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化し、これらの活用を図る中で、情報発信や人材育成・伝承、環境整備などの取組を効果的に進めていくことが必要です。

文化庁では、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援します。

世界遺産登録や文化財指定は、いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い、保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は、既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく、地域に点在する遺産を「面」として活用し、発信することで、地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります。

日本遺産とは|日本遺産ポータルサイト (bunka.go.jp)

世界遺産への登録を強く意識したものではないかと思います。認定されるのが広域であることが多いようなので、なかなか理解しずらく、訪問するにしてもターゲットを絞りづらいかも知れませんね。

アクセス

JR両毛線足利駅からは歩いて5分ほど。東武線足利市駅から10分ほどです。鑁阿寺と足利学校は道を隔てて、隣通しなのでワンセットでの観覧が可能です。

それでは、マイYouTube動画でご覧下さい。

タイトルとURLをコピーしました