ニューヨークタイムズも選んだ山口市と瑠璃光寺

一人歩き探検旅

ニューヨークタイムズが、今年行くべき世界の観光名所52ケ所のうち3番目に山口市を選定したそうです。故郷の北九州帰省時に、タイミング良くこのニュースが飛び込んできましたので、帰りにその山口市に途中下車し立ち寄ってみました。

このニューヨークタイムズ紙、昨年は盛岡市が第二位に選ばれています。京都や奈良、東京にはない地方都市のコンパクトさや、静寂さがウケるのではないかと思います。

山口ゲンジボタルの生息する一の坂川

この山口市は室町時代、大内氏の栄華を極めた城下町で、「西の京」と言われ、大内文化を栄えさせたそうです。ここの瑠璃光寺の五重塔は国宝に指定されている名塔です。

国宝五重塔(修復中)

そして、徒歩で行ける市内近辺にはこの国宝のほかにも重要文化財がたくさんあるのです。

文化庁のデータベースによれば、建造物に限ると、国宝の五重塔も含め、山口市内には16件国指定重要文化財があります。その大部分を電車やバスを使わず歩いて半日ほどで巡ることができますから、管理人にとっても宝の山的な、ウキウキ気分になってしまいます(^_-)-☆

街並みは整然として静寂に包まれ、小高い丘の上には「山口ビエル記念聖堂」(山口ではザビエル→サビエルと言う)があったりして、なるほど、ニューヨークタイムズが選定した理由は、瑠璃光寺の五重塔や文化財だけではなく、この聖堂が本命ではないかとつい、思わせてくれます(^_-)-☆

もちろん、サビエルとは1549年(室町時代後期)に来日し、日本に初めてキリスト教を伝えた「フランシスコ・ザビエル」のことです。この山口に滞在しています。

サビエル記念聖堂内

管理人はどちらかと言うと、瑠璃光寺の五重塔が本命なのですが、実は、、、

瑠璃光寺に行くと五重塔が見当たりません。何と工事用の特大テントで囲まれていました。大規模な修復工事は昨年からはじまり、令和8年の3月までかかるそうです。

それならそうと、連日のニュースの中で伝えて欲しかったですよね~。まあ、自分の事前情報の収集不足に原因はあるのですが、山口市内の魅力は五重塔だけではありません。

気を取り直してレポートを進めます(^^)/

それでは動画をご覧いただく前に、少しばかり山口市の歴史のお勉強です。

大内氏と大内文化

今回、地元の方に何人かニューヨークタイムズの話を差し向けたところ、ある方から「外人さんに大内文化がわかるかねー」と言う回答が返ってきました。

地元の方々にとっては、のちの毛利氏の支配時代よりも、大内氏時代の大内文化のほうが心の拠りどころであった、と言うことかも知れませんね。

なるほど、、、。

大内文化(おおうちぶんか)とは、室町時代の山口を中心とする文化を指す用語。大内氏第9代当主大内弘世(1325年 – 1380年)が京の都を模倣し街づくりを行ったのを発端とする。第14代大内政弘(1446年 – 1495年)が文化を奨励し、第16代大内義隆(1507年 – 1551年)が大寧寺の変で倒れるまで大内氏の当主により文化人の庇護が行われ、訪問者たちが担い手となって北山文化・東山文化と大陸文化を融合させた独自文化が隆盛した。

大内文化 – Wikipedia

南朝から北朝へ帰順し、周防長門両国を統一した大内弘世は第2代将軍足利義詮に謁見するため、1363年に上洛した。この時、京と山口の地形が似ていることから山口を「西の京」とすべく大路・小路といった京風市街整備を行うとともに文化人を招いた。室町中期以降の大内氏は日本一の経済基盤を有するようになり、その財力を頼る文化人や公家が戦乱で荒廃した京より多数来訪したことで末期は京をしのぐほど繁栄した。また、大内氏は東アジア(明・朝鮮・琉球等)との交易・交流を盛んに行っていたため、明・朝鮮の影響も加わった、独自の大内文化が発展した。このように、外国の文化を受け入れてさらに独自に発展させていった大内文化の特徴について、地元の山口市は先進性・先見性・寛容性・独自性・国際性が見られると表現している。当時の山口の繁栄ぶりはルイス・フロイスやフランシスコ・ザビエルの記述にもみられるが、多くは室町時代末期の戦乱の戦火で焼失した。現在では、瑠璃光寺五重塔や雪舟庭は現存しており大内文化を代表する建築物となっている。

なお、大内氏時代の山口には、1551年に大内義隆がフランシスコ・ザビエルの滞在とキリスト教布教を許したため、日本初の南蛮寺(大道寺)でクリスマス行事(日本のクリスマスは山口から)が行われるなど、西洋の文化も流入していた。

大内文化 – Wikipedia

周防大内氏

本姓は多々良氏。姓(カバネ)ははじめ宿禰のちに朝臣を名乗った。百済の聖王(聖明王)の第3王子の後裔と称する。周防国府の介を世襲した在庁官人から守護大名へと成長し、周防・長門、石見、豊前、筑前各国の守護職に補任されたほか、最盛期の大内義隆の代には山陽・山陰と北九州の6か国を実効支配した。家紋は「大内菱」。

大内氏 – Wikipedia

室町時代末期の大内氏の滅亡後、毛利氏の支配となり関ケ原の戦いののち、毛利輝元が萩に居城を構えたために、山口の政治的中心地はいったん萩に移りました。

そして、幕末に外国船への防御に弱い萩から、藩庁を現在の山口に戻しました。ここが討幕運動の拠点となり、高杉晋作や木戸孝允、坂本龍馬などが活躍する舞台となるわけです。

幕末に薩長連合を密儀した沈流亭

山口市内の見どころ観光

山口市内に存在する国の重要文化財(建造物)は以下の通りです。

  • ×有近家住宅…国指定重文 明治時代建築 この地方有数の地主の住まい
  • 〇今八幡宮拝殿ほか…国指定重文 室町後期建立の神社
  • ×月輪寺薬師堂…国指定重文 平安後期建立の寺院
  • ×正八幡宮…国指定重文 江戸中期建立の神社
  • 〇洞春寺観音堂、山門…国指定重文 室町中期建立の寺院
  • ×平清水八幡宮本殿…国指定重文 室町中期建立の神社
  • ×古熊神社拝殿、本殿…国指定重文 室町後期建立の神社
  • 〇八坂神社本殿…国指定重文 室町後期建立の神社
  • 〇山口県旧県庁舎及び県会議事堂…国指定重文 大正時代建築
  • 〇龍福寺本堂…国指定重文 室町中期建立の寺院 大内氏の館跡
  • 〇瑠璃光寺五重塔…国宝 室町中期建立

このほかにも国の史跡や名勝など見どころいっぱいです。

  • ×常栄寺庭園(雪舟庭)…国の史跡と名勝に指定
  • ×凌雲寺遺跡…国の史跡に指定 大内氏の墓
  • 〇萩藩主毛利家墓所…国の史跡 うぐいす張りの石畳が有名
  • 〇露山堂…毛利敬親の茶室で討幕の密儀を行った
  • 〇枕流亭…幕末薩長連合を推進した場所で西郷隆盛なども使った
  • 〇サビエル記念聖堂…フランシスコザビエルを記念する聖堂
  • 〇一の坂川…京都鴨川を模し、桜やゲンジボタルの名所(国指定天然記念物)
  • 湯田温泉…山口県を代表する温泉地

各リストの頭の「〇」は今回訪ねたところ、「×」は未済のところです。×のところは徒歩ではちょっと困難ですね。

体力勝負ならレンタサイクル(シェアサイクルがあるようです)か、シニアは観光タクシーが良いでしょうね。

それぞれの見どころ、歴史などを詳しくレポートしたいのですが、数が多すぎるのでこの辺で。

アクセス

代表的な瑠璃光寺の場所をマップでお示しします。

新幹線の新山口駅からは、北口から路線バス(防長バス/4番乗り場)が一時間に数本出ています。45分ほど乗って山口県庁前で下車すれば、瑠璃光寺などの観光スポットがたくさん見学できます。

また、新山口駅から山口駅までJR山口線で行くこともできます。乗車時間は約25分ですが、本数が一時間に1、2本です。駅前から瑠璃光寺を目指して、周辺スポットを巡りながら歩いていきましょう。

山口駅の観光案内所で「山口市内観光案内図」をゲットしてから出発すると良いですね(^^)/

なお、冒頭にお話しした通り、国宝五重塔は令和8年3月までは修復中のため見られませんので念のため。

それではマイYouTube動画でご覧下さい。

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